名前 : 稲垣 昭義
区分 : 三重県議会議員
市町 : 三重県四日市市
1972年
三重県に生まれる。
1994年
北川正恭前三重県知事の下で政治を勉強。
1995年
株式会社三重銀行入社。
2003年
三重県議会議員初当選。
2007年
三重県議会議員選挙に再選。(2期目)
本日はご多忙の折、御付き合い頂きありがとうございます。
以前は、けんさん会での勉強会でもご一緒させて頂きましたが、
その時から、非常にエネルギッシュな方だと思っておりました。
学生時代には、ボランティアでタイを訪問したり、
日本と国交のない台湾へ、学生訪華団として訪問したりしていました。
その他にも、社会人になってからサークルを立ち上げたりと、
まずは自分で行動をするのが好きなのでしょうね。
なんともグローバルなご活躍をされておられたのですね。
サークルというのも、総勢400名程度の団体だったとお伺いしております。
人を結びつけるという能力にも、非常に長けておられるようですね。
そのようなご活動をされておられた中、
議員を志すに至る軌跡は、どのようなものだったのですか?
学生時代から、政治に関心はありました。
当時はインターンシップなんていう制度は日本にありませんでしたが、
個人で議員を訪問させて頂き、そこで政治を勉強させて頂きました。
その中で、はやり世の中を動かすのは政治だ。と確信しました。
ところが、そうは思っても、別に身内に議員がいるわけでもありませんし、
選挙にはお金がかかると聞いていたので、政治家になるのはあきらめて銀行に就職しました。
そこに勤めながら、別で、当時20代の同級生たちでイベントサークルをつくり、
仲間を増やしながら活動をしていました。
そんな中、ここにいる仲間と一緒に選挙をしてみたら、面白いのではないか。
そう思うようになりました。
そこで相談を持ちかけたところ、ありがたくも、協力をしてくれるということになりました。
26歳で出馬をした際には、残念な結果となりましたが、必ずもう1度選挙に出ようと決め、
学習塾やパソコン教室をして4年間準備をし、30歳の選挙で、初当選をさせて頂きました。
長年培ってきた仲間のありがたみを、ひしひしと感じますね。
しかし、2度目の選挙を迎えるまでの4年間は、相当長く感じられたのではないでしょうか。
正直4年は長かったですね。
必ず次に出馬すると決めていたので、再就職することもできませんし。
なので自分で学習塾を行い、仲間にも助けられながら、4年間を乗り切ることができました。
塾をされるだけでなく、その期間にNPOを設立されたり、
日韓共催ワールドカップを地域から活性化させるために韓国を視察されたりと、
全くスピードを落とすことなく、目まぐるしい日々を過ごされていたとお聞きしております。
そこまでして議員となられた今ですが、とりわけ力を入れておられる事は何でしょうか。
常に情報の発信をしていきたいと思っています。
その中でも、36歳の自分だからこそ説得力があることを伝えていきたいと思います。
例えば子育て支援や教育、少子化対策など、
我々の世代が声を上げなければいけない課題だと思っています。
政治家はお年寄りの方が多いのであまり実感されることがなく見過ごされている課題です。
今の時代は、あれもこれもできる時代ではありません。
税金を使って政策を実現していく中で、本当にこれは必要なのか。無駄にはならないのか。
そういうことを、若者の目線で吟味し、
次世代のための代弁をさせて頂くことが、自分に課された使命だと考えています。
三重県のみならず全国の議員の中でも、稲垣議員はお若くし情熱をお持ちの方だと思います。
これからの三重を担うような、働き盛りの世代の代弁者としても、
是非ご活躍をして頂けることを期待しております。
それでは最後に、市民の皆様に一言お願い致します。
政策云々の前に、まずはもっと政治というものをご自身の身近なことだと感じてみてください。
もちろんこれまで情報発信をしてこなかった政治家にも大きな問題はあります。
しかし、県民の皆様が常にアンテナを張って頂き、
政治家を見ていただくことも今後は非常に重要なことだと思います。
政治は、いつも皆様のすぐそばにあるのです。
稲垣議員、ありがとうございました。
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